2026自主活動休暇|「知るきっかけ」を得たフィリピン・タイ旅行
こんにちは!新卒入社のご挨拶ブログを書いてから早くも1年が経過した渡邉です。 今回は、入社後初めての自主活動休暇を頂き、フィリピンとタイを訪れたのでその様子を少しお伝えしようと思います。 そもそもフィリピンとタイを選んだ理由ですが、フィリピンについては同行した友人が行ってみたいという希望...
H. Watanabe
2026年05月27日
2026年5月26日、大阪松竹座が103年の歴史に幕を閉じました。
大阪の大動脈である御堂筋から道頓堀へ一歩入ったところにあり、1923年(大正12年) から受け継がれるネオ・ルネッサンス様式の優美なアーチを持つこの劇場は、大大阪時代の息吹を今に伝える貴重な場所です。創設期は外国映画の上映と松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)のレビューを組み合わせた興行を行い、当時の最先端のエンターテインメントを発信していたそうです。
1945年の大阪大空襲で道頓堀一帯が焼け野原となったときも、松竹座は奇跡的に戦火を免れ、終戦直後の同年8月末には早くも劇場を再開して映画上映を行い、敗戦の暗い影に大きな希望の光を灯したと言われています。
その後、長らく洋画の封切館として大阪の人々に親しまれましたが、1994年に一旦閉館し、1997年に歴史ある趣を残したまま、最新の設備を備えた「演劇専門劇場」として生まれ変わっています。
1997年頃といえば、芝居の街・大阪を支えた「道頓堀五座(中座、角座、浪花座、朝日座、弁天座)」が次々と閉館していった時期です。つまり、大阪松竹座は、紡がれてきた道頓堀の芝居小屋の灯を絶やさないための最後の砦としての使命を帯び、リニューアルされたといってよいでしょう。
このリニューアルにおいて、創建当時の松竹座の象徴的な外壁(ファサード)は残し、その後ろ側に最新鋭の劇場を新築する「ファサード保存」という建築手法が採用されました。これにより、「道頓堀の歴史的景観・シンボルの保存」と「歌舞伎を上演できる最新鋭の舞台設備の導入」という二つの課題を見事に同時にクリアしたのです。
それから約30年。2026年5月26日に建物の老朽化により、大阪松竹座は完全に閉館しました。
30年というのは建造物にとってそんなに長い期間ではないのではないか?なぜ閉館しなければならないのか?というのが、私が最初に抱いた疑問でした。が、元々、築100年を超える部分を残しての改築だったことと、内部の舞台装置は大体30年が寿命ということで、今回の決断に至ったようです。
大阪で生まれ育った者にとって、大阪松竹座の外観は非常に馴染み深いものです。たとえ中に入ったことがなくても、誰でも知っている建物であると言えるかもしれません。実は、一般よりも多少観劇経験は多い方ではないかと思う私も、恥ずかしながら大阪松竹座は外を通るばかりで、実際に中で観劇をしたことはありませんでした。私が文楽好きだということも大きな理由のひとつで、駅一つ向こうにある国立文楽劇場には数えきれないほど行っていますが、歌舞伎は他の伝統芸能と比べてチケットが高いこともあり、大阪松竹座には行ったことがなかったのです。
今回、閉館という大きなニュースを見て、最後に一度くらい体験しておかねばならないと思い立ち、千秋楽の少し前の5月22日に、会社の自主活動休暇を利用し、松竹座のさよなら公演に行ってきました。
その名も御名残五月大歌舞伎!!
昼の部で、演目は『寿式三番叟』『義賢最期』『鰯賣戀曳網』の3部。
文楽好きの私は、この「名残」という言葉を聞くと、曾根崎心中の「此の世の名残。夜も名残…」のくだりを思い出してしんみりしてしまうのですが、演目が寿式三番叟からスタートというのが、また良いですよね(笑)
最後まで笑って歌舞こう!!という劇場側の心意気を感じ、足取りも軽く、大阪松竹座に向かいました。
大阪松竹座のエントランスを入ると、突き当たりになんとベルナール・ビュッフェの歌舞伎の絵が飾ってありました。一目でビュッフェだと分かる特徴的な迷いのない黒線に縁どられた巨大な歌舞伎役者の絵で、1988年の歌舞伎座100周年記念の際に描かれたということです。これをエントランスに飾ってあるというのが、大阪松竹座の格調の高さを感じますね。
いきなり予想外の絵画との出会いがあり、松竹座前でお昼のお弁当も予約して、ワクワクが止まらない中、舞台の幕が上がりました。
●寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
歌舞伎に限らず、文楽でもお馴染みの演目(大元は能楽)です。本来は新春などのお祝いの席で舞われるおめでたい曲です。文楽の寿式三番叟大好きですが(特に片方が途中から疲れてサボるのが好きすぎる…)、歌舞伎ではサボる人はいませんでした(笑)
わざと動きをずらして個性を感じさせるところも、ぴったりと揃う動きも、どちらも阿吽の呼吸と呼ぶにふさわしく、軽やかな舞にくぎ付けになります。ダイナミックでリズミカル!足音も立てずにそろりと着地したかと思えば、豪快にドン!と大きな足音を立てて力強く舞う反閇も圧巻で、そのエネルギーに圧倒されました。
●義賢最期(よしかたさいご)
これぞ歌舞伎という、真骨頂を感じる演目。とにかく見得のためなら物語も情感もそっちのけ(笑)これでもか!これでもか!!というほど見せ場が作られ、どんどん大盛りになっていく感じでした。凄い技の後、もうこれで終わりかな?と思っても、また動きだし…例えるなら、花火の最後のフィナーレが延々続く感覚とでも言いましょうか。凄いカタルシスを感じました!
物語として見ると「そうはならんやろ…」「なんでやねん!」というツッコミの連続ですが(笑)
特に凄かった演出が、襖絵だけで足場を組んでその上で愛之助さんが見得を切る場面と、最後、ついに最期を迎えるというところで、顔から階段に落ちて動かなくなるというところ。後で調べてみると、襖絵の技は「戸板倒し」、階段への顔面ダイブは「仏倒れ」という、どちらも高度な歌舞伎の技だということを知りました。本当に、見得のために昔から多くの技が受け継がれてきたのですね。歴史の積み重ねがこのカタルシスを生み出しているのだと肌で感じました。
●鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)
こちらは、ザ・勘九郎さん!という舞台でした。歌舞伎に大して詳しくない私でも持っている勘九郎さんのイメージそのままで(笑)たぶん真のファンの方は彼の色々な芸の面をご存知なのだと思いますが、私の中ではコミカルな役柄の似合う超一流の役者さんという認識です。もう始終笑わせていただきました。七之助さん演じる蛍火がまたお美しい…。たぶん尻に敷かれるようになるであろう鰯売りの夫婦の今後を想像しながら、幕が下りた後も暫くクスクス笑ってしまうような、そんな舞台でした。
久々に歌舞伎を見ての感想は、「歌舞伎の真髄は花道にあり」ということでしょうか。つまり、歌舞伎自体、素晴らしく完成された身体芸術ですが、花道がある舞台で上演されることによって本当の意味で完成される芸能だと思います。とにかく、花道から演者があらわれる度に、そして花道から演者が去る度に、観客が他では味わえないような興奮を覚えているということが、少し離れたところから見ていても分かります。(私は2階席上手から見ていたので、花道を真正面に見下ろす形でした)
花道には、舞台セットが無く、道の狭さから派手な舞台演出も出来ない分、より役者の身体そのものの表現が重要になります。その身体ひとつの演技を、本当に息が吹きかかるくらいの位置で観客が体験することこそ、歌舞伎の真の興奮を生み出すのだと思います。当然、役者の方からも、自分を見つめる観客の熱い視線がよく見えるでしょう。舞台が役者と観客の呼吸により、その場限りの体験として完成されるものだとすれば、花道ほどその昇華に適した舞台装置はありません。
残念ながら、今回の大阪松竹座の閉館で、花道のある劇場は大阪から姿を消します。関西では恐らく京都南座くらいになるのかしら…?舞台芸術の東京一極集中がささやかれ始めて久しいですが、凄く寂しい話です。
まさに今、上方芸能の状況は「あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。」を地でいっているように思いますが、松竹は大阪松竹座の跡地活用において、「新たな文化芸能の発信拠点の実現」に向けて大阪市とも協議していくと発表しています。ちょうど、購入した番付の桂米團治さんの話で「ベネチアのフェニーチェ歌劇場のように、松竹座が不死鳥となってほしい」という玉三郎さんの言を拝見しましたが、ぜひ花道のある劇場を大阪に復活させ、上方芸能を守り抜いてほしいと、今回の観劇を通して強く思いました。
またいつか、大阪の地で歌舞伎が楽しめますように。そのときには、私も花道横の席で舞台を堪能したいものです。あ、もちろん、観客席で幕間にお弁当も食べられるようにしてくださいね!(笑)

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