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新しいスタッフが加入しました!ストックホルムに住んでいました

EXJカルチャー
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M. Kudamatsu

去年の12月にエクスポート・ジャパン(以下、社内での慣行に従って「EXJ」と略)に入社した下松(くだまつ)です。

生まれも育ちも東京です。音楽が好きな子供で、小学生の頃は「ザ・ベストテン」を毎週欠かさず見ていました(中森明菜ファンでした)。中高では、 X JAPAN と LUNA SEA を好きになって日本武道館や東京ドームでのライブによく行っていました(それから10年以上経った後に、どちらのバンドも国際的に人気になり、ドイツやイギリスで現地のファンと一緒にライブを見ることになるとは、当時は夢にも思っていませんでした)。

大学に入ってから、年に1回は海外旅行をするようになりました。アメリカ、ベトナム、タイ、そしてキューバ。キューバについては、当時、日本語での観光情報がほとんどなかったので、インターネットで英語の情報を探して安く泊まれる民泊を見つけ出し、Lonely Planet を片手に渡航しました。

ココナッツのような形をした黄色い三輪車バイクタクシーが五台道の脇に駐車している。背景にはコロニアル様式の高層アパートが見える。
キューバの首都ハバナの名物、ココタクシー(2000年2月28日筆者撮影)

帰国後、自分の体験をもとに、キューバ観光ガイドの日本語ウェブサイトを作ると、結構多くの人が訪問してくれました。自分が泊まった民泊をサイトで紹介したら、日本人が次から次へと宿泊するようになったらしく、オーナーがお金持ちになり、2年後再訪したときに無料で泊まらせてくれました。

今思えば、EXJの基幹事業である「国際ウェブマーケティング」を、家に泊めてくれたキューバ人のために、頼まれてもいないのに勝手にやっていました(笑)。

ロンドン留学

24歳でロンドンへ大学院留学をしました。世界中から人が集まる街で、彼ら彼女らが話す英語の母国語由来の訛り(特にフランス人)に最初の二年間は苦戦しました。当時、英語の勉強も兼ねて英語でブログを書いていたのですが、それを読んで連絡してきてくれたイタリア人と仲良くなりました。彼と毎日のように話すようになったことで、英語でのコミュニケーションがようやく楽になりました。英語のブログを書いていなかったら、彼とは出会えなかったので、英語ができるようにならないまま終わっていたかもしれません。

今思えば、ウェブを通して英語で発信することの重要性を、このとき既に学んでいました。

また、それまで美術館・博物館に全く興味がなかったのですが、ヴィクトリア&アルバート博物館(通称V&A)の空間デザインが気に入って、月一で開催されていた金曜の夜間開館イベントによく足を運びました。

写真の上半分に、円形のドーム天井の下半分。写真の下半分に、円形のアーチの上半分。両者を繋ぐ位置に、黄色と水色の、ぐるぐるトグロを巻くように外へ伸びる形のガラスを無数に組み合わせて作られた瓢箪型の彫刻が見える。
ヴィクトリア&アルバート博物館の入口ロビーに釣り下がるシャンデリア(2006年7月22日筆者撮影)

今思うと、この時にデザインへの興味の種が自分の中に撒かれたのだと思います。

なお、音楽の趣味は、ロンドン留学中にガラッと変わり、ドラムンベースやヒップホップをよく聞くようになって、研究で疲れた時には気分転換にナイトクラブに行って踊っていました。他方で、クラシック音楽の生演奏を聴きに行くようにもなりました。ロンドンはクラシック音楽の敷居が低くて、通学していた大学の図書室で週一で開催されていた無料ランチタイムコンサートに足を運んだり、ロイヤル・アルバート・ホールで夏の間開催される Proms に行き、オーケストラの目の前での立見席当日券(5ポンド、当時の為替レートで約1000円)を1時間並んで買って、ストラビンスキーの「春の祭典」の演奏を聴いたりしました。

ストックホルムでの生活

5年間の留学生活の末、経済学の博士号を取得し、スウェーデンの首都ストックホルムの大学に研究者として勤め始めました。アフリカで生まれた赤ちゃん60万人のデータや中国共産党幹部の履歴書データなどを、統計学の手法を駆使して分析し、英語で研究発表・論文執筆をしていました。

仕事でもプライベートでも海外旅行をたくさんしました。訪れた国は合計25カ国。出入国のスタンプを押すところがなくなって、パスポートがもう一冊必要になるほどでした。ボツワナというアフリカで経済的に最も成功した国を訪れ、野生のキリンやゾウを目の前で見たのは今も忘れられません。また、ベルリンの尖ったカルチャーに魅せられて、夏休みに一週間ほどアパートを借りて滞在するなど、何度も訪れました。

他方、スウェーデンでの生活は、デザインへの興味を自分の中に生み落としました。ストックホルムには、インテリア用品の店が無数にあり、「ウィンドーショッピング」の楽しさを初めて知りました。お店はもちろん、地下鉄駅や大学や診療所といった非商業的空間のインテリアも凝っている場所がとても多かったです。体調が悪くて近所の診療所を訪れた時、待合室の白い壁に大きな木のシルエットが描かれていて、それを見た瞬間、気分の悪さが和らぎました。街で見る標識も、情報が一目で見て伝わるように、文字情報を最小限にとどめて、しっかりデザインされていました。

今思えば、このときに、UXデザインへの関心が生まれていたのだと思います。デザインによって、人々の経験が豊かになるということに面白さを感じていました。

なお、ストックホルムでは、音楽の趣味がまた変わり、サルサとバチャータというラテンダンスを習うようになったことをきっかけに、ラテン音楽を聞くようになりました。ストックホルムは国際的な街で、コロンビア人のダンサー家族が経営し、様々な国籍の人が集まるダンススクールがあり、週に2,3回習いに行って、レッスン後のダンスパーティーで夜遅くまで踊っていました。

透明なガラスに、白い雪の結晶が連なって無数に張り付いている。ガラスの向こうには、中央やや右上寄りに高度の低い太陽、右半分に日光に照らされた道路とその上を歩く1人の人のシルエット、左半分に雪が積もった地面が見える。
氷点下10度ぐらいの冬の朝のストックホルムで、バス停のガラスの壁に張り付いていた雪の結晶(2013年1月18日筆者撮影)

日本帰国後

2016年、ストックホルムの大学との契約期間が終了し、日本に帰国します。関西の大学に職を得たので、前から住んでみたかった京都で、アパートを借りました。

京都に住みたいと思ったのは、四季の移り変わりを感じてみたかったからです。実際に住んでみると、桜や紅葉以外にも、季節の花(例えば、4月半ばのヤマブキ、5月初めのカキツバタ、9月半ばのハギ)の名所がどこかしらにあり、売っている和菓子も店によっては二週間単位で変わっていきます。1年経つと記憶が曖昧になるので、毎年同じ場所を訪れても、同じ和菓子を食べても、新鮮に感じることができます。

無数の赤い花を咲かせたツツジの低木が池の周りを取り囲んでいる。向こう岸の奥には、白い障子の上に檜皮葺きの屋根が乗る高床式の建物が見える。
京都の観光名所である桂離宮庭園で4月下旬にキリシマツツジの赤い花が咲き乱れる様子(2021年4月21日筆者撮影)

他方、仕事面では研究者としての人生に限界を感じるようになっていました。良い研究ができなくなり、残りの人生を同じように過ごしていきたいとは思えなくなっていました。

じゃあ何をすればいいのか。ストックホルムで育んだデザインへの興味を、研究者生活でデータ分析のために習得したプログラミング能力と組み合わせることのできるウェブ制作ではないか、と思い、CodeCademy という英語のオンラインコースで HTML/CSS を試しに学んでみました。自分の頭の中に描いたイメージを、コードを書いてスクリーンに実現できた時、それまでに味わったことのない満足感を得ました。「これだ!」と思えた瞬間でした。

研究者の職を辞めて、本格的にウェブ制作の勉強を始めました。コードが書けるデザイナーを目指して、Interaction Design Foundation や Nielsen Norman Group のサイトなどで UI/UX デザインについて学びつつ、元ペイパルのウェブエンジニアで多くのオープンソースソフトを開発した Kent C. Dodds のオンラインコースで、React やウェブアプリのテストコードの書き方を学びました。ウェブ・アクセシビリティーについても積極的に知見を集めました。

一通り学んだ後は、自分が欲しいと思うウェブアプリを個人開発しはじめました。世界中の人に使ってもらいたかったので、どれも英語で制作しました。

そんな日々を過ごしていたある日、自分の経験を活かせるのは英語サイトを制作しているウェブ制作会社ではないか、と思って検索している時に見つけたのが EXJ でした。多くのウェブ制作会社は東京にあるので、京都から離れたくない自分にとっては選択肢に入らないのですが、EXJ は大阪に本社があるので、京都からでも通えます。

フロントエンドエンジニアの求人に応募し、2回の面接を経て内定通知を得た時は、自分が歩んできた道を認めてもらえたと感じ、とても嬉しかったです。

EXJ に入社してみて

EXJ に入社してから2ヶ月半が経ちました。民間企業で働くのは初めての経験ですが、「不完全でいいから出来たものを共有して、後は得意な人に任せることでビジネスとしてのスピード感をもって働きなさい」と教えてもらって、少しずつ実践できるようになってきたような気がします。

フロントエンドエンジニアの求人に応募して入社したのですが、UI/UXデザインの知識を買われて、社内用の経理アプリの改修プロジェクトや、新規顧客のWebサイト改修提案プロジェクトに参加させてもらい、コーディングだけでなくデザイン面での仕事も任され、貴重な経験をさせてもらっています。

ほぼ100%在宅勤務ですが、年末の東京での忘年会や、月ごとに誕生日の人を祝うオンライン・ミーティングなど、普段一緒に仕事をしない同僚ともコミュニケーションする機会もあり、在宅勤務の欠点として指摘される「寂しさ」のようなものは感じません。

その大きな理由は、EXJ のスタッフの人柄だと思います。とてもフラットな組織で、チャットで質問するとすぐに答えてくれるなど、親切な人ばかりです。そして、面接や入社後のオリエンテーション・歓迎会で感じたことですが、自分がどういう人なのかを知ろうとしてくれる方が多くて、ドライに仕事をするだけではない点が気に入ってます。

また、様々な国籍の外国人スタッフがいることも EXJ の特徴で、英語でコミュニケーションをして仕事を進めることもあり、ロンドンやストックホルムで様々な国籍の人に囲まれて生活していた自分には、とても心地よい環境です。

クライアント案件の締切前に残業せざるを得ないこともありましたが、11時から16時をコアタイムとするフレックスタイム制で、月ごとの合計勤務時間が所定労働時間を満たせば良いので、残業をした翌週の退勤時間を早めるなどの融通が効きます。

その他、自己研鑽制度というものがあり、月5000円まで本などを購入できるのと、勤務時間の10%まではコーディングスキルの学習などに充ててもよいので、とても助かっています。

EXJ は、そこで働いている人を大切にしている会社だと、いつも思います。そのような環境下で、ウェブ制作に関わる様々な経験を積んでいきたいと思っています。

注:トップ画像は、ストックホルム旧市街を対岸の Skeppsholmen 島から見た風景です。長い冬が終わってやっと暖かくなった日(2013年4月14日)に筆者が撮影しました。