お問い合わせ
image

2024自主活動休暇 日食を求めて~アメリカでの珍道中~

EXJカルチャー
profile

PartinB.

インバウンドマーケティング部のブリタニーです。先月、アメリカのコロラド州にいる家族に会いに帰国しました。今回の一時帰国は、2024年4月8日の皆既日食を見るためにタイミングを合わせました。母は2017年にワイオミング州で皆既日食を見て感動し、それ以来、2024年に絶対に皆既日食を見るように頑張らなければならないと私に言い続けてきました。

日食メガネと皆既帯マップ

日食はコロラドでは見られなかったので、コロラドにいる私の家族と、カリフォルニア州にいる母方の親戚が、テキサス州への旅行を計画しました。総勢26人と大型犬1匹で、12人が飛行機で2つの空港に向かい、それ以外の全員が4台の車で長旅をしました。それだけでも複雑なのに、26人の内には高齢者、身が不自由な人、重度のアレルギーを持つ人などもいて、ホテル探しが大変でした。皆既日食が見られる場所は人気があるので、かなり前からホテルを予約しておかなければなりませんでした。

旅行の1週間ほど前、予約していたホテルの一つが洪水の被害を受け、予約をキャンセルせざるを得ない状態になりました。私たちは他のホテルを探しましたが、結局これはこの後続くトラブルの予兆に過ぎませんでした。

4月5日

出発の数時間前、母は天気予報をチェックし、「すごい雷雨になるかもしれないけど、、日食を見られる可能性もあるよ」と明るく言いました。

「多分じゃなくて、可能性はあるの?」と私は尋ねました。

残念なことに、天気予報はテキサス以外はどこも良さそうだったのに、テキサスは最悪の予報でした。日食を見たいと真剣に考えている人たちは、おそらく皆、北へ向かうために計画を変更したでしょうが、複雑で大所帯の私たちのグループはテキサスに集合するしかなかったのです。おそらく日食は見られないだろうと諦め、夕食にチーズとクラッカー、新鮮な野菜を車の中で食べました。私たちが住む街を出て一時間後、高速道路のそばで火事になっている製鉄所を通り過ぎましたが、それ以外は何事もなく、テキサス州最北端の町アマリロまでは6時間のドライブでした。ここで最初の夜を過ごしました。

遠くから見た火事の煙
遠くから見た火事の煙

4月6日

翌日は強い砂嵐で始まりました。車に戻るとき、父の短パンが荷物から風に飛ばされ、見失いそうになりましたが、追いかけてなんとか確保。

天気予報では、人々が日食にどれほど興奮しているか、皆既線に沿ってどれほど多くのイベントが計画されているか報道していました。小さな町では、突然押し寄せる観光客や交通渋滞に備える人々のインタビューがあり、人口の少ない州にとって準備は非常に大きな課題だったそうです。天気はテキサス州を除いて、どこも良さそうでした。

コロラドのような山岳州出身の私たちにとって、テキサスはとても平坦でした。アマリロ一帯は、私が想像していたとおり、乾燥した砂漠のような風景でしたが、走り続けると突然、緑豊かな景色が現れました。色鮮やかなワイルドフラワーが何千、何万と咲いていて、ダラス市郊外のマンスフィールドという町まで束の間のドライブの間、車窓から眺める景色を楽しんでいました。

残りの家族も徐々に到着し、2つのホテルに分かれてそれぞれの部屋に落ち着きました。私は別のホテルにいる祖父母と12時過ぎまで過ごした後、12時45分ごろに妹と従妹とシェアする部屋に戻りました。すると夜中の1時頃、ホテルの火災報知器が鳴り始めたのです。

ありがたいことに火事ではありませんでした。でも、給湯管が破裂し、3階は蒸気で充満していました。ホテルのロビーには1時間にわたってお湯が漏れ続け、天井の破片も落ちてきて、翌朝までお湯は使えない状態でした。

4月7日

この事件のせいで睡眠不足になった私たちは、4月7日のほとんどを、高確率で日食が見られそうな場所を探したり、複雑なグループのために直前になって新しいホテルの計画を立て直したり、キャンセルをしたりすることに費やしました。

かくかくしかじか、その夜私たちはいくつかのグループに分かれました。私は2人の叔母と犬を連れて南東へ向かい、エニスという街に1泊しました。この旅で一番安いホテルでした。ホテルというよりは、モーテル(自動車運転手(motorist)+ホテル)で、長い距離を車で移動する旅行者が休憩するのに必要最低限のものしか備わっていません。部屋にはコーヒーもシャンプーもなく、水道の蛇口のハンドルの代わりに大きなネジが使われていましたが、少なくとも清潔でお湯も問題なく出ました。

ホテルでのハプニングとモーテルのユニークな蛇口ハンドル
ホテルでのハプニングとモーテルのユニークな蛇口ハンドル

私たちが天気予報を聞いた後、ベッドに入ったのは真夜中でした。
どこも晴れていたのに、テキサスだけは大雨、雷雨、洪水、雹、竜巻の危険がありました。

4月8日 日食の日

2017年にワイオミング州で起きたことは誰もが知っています。日食を見るため少しずつ人がなだれ込み、1日だけワイオミング州の人口が倍増しました。日食が終わると、一斉に帰ろうとした536,000台もの車が歴史的な渋滞を引き起こしました。通常なら4時間のドライブが10時間から12時間かかり、トイレもなく、給油もできませんでした。家族もこの道路上の地獄を過去に体験していたのです。

そのため、叔母たちと犬と私は午前3時に起きて、日食観察のために新しく選んだ場所、ニューボストンという小さい町へのドライブに出発しました。

ブリタニーが旅した経路を表すアメリカの地図
ブリタニーが旅した経路

渋滞はまったくありませんでした。
皆、すでにテキサスから晴天の多い州に移ってしまったにもかかわらず、道路脇の標識は相変わらず大渋滞を警告し続けていました。そのドライブ中、唯一の問題は、雲がどんどん押し寄せてくることでした。ニューボストンに着く頃には、空は暗く、灰色で、厚い曇に覆われていました。それなのに、前夜ニューボストンに到着した家族が目覚め、グループの他の車2台が合流するまでに、まだ何時間も待たなければならなりませんでした。

オクラホマやアーカンソーの隣州へ行くかどうか決めるのに間に合うでしょうか?

あきらめてここに留まることになるのでしょうか?

ニューボストン周辺の天気予報はことごとく違っていて、午後1時45分頃の皆既日食の4分半の間、晴れる確率は五分五分だと結論づけました。 またしても、私たちの努力は水の泡となるかもしれないと、心の準備をしました。

午前10時45分頃、叔母の車の中で叔母と一緒にコーヒーを飲みながら、天気予報を聞いたのが最後でした。静寂が訪れた午前10時50分頃、少し暑くなってきたので私たちは上着を脱ぎ始めました。

その時、周囲の色が急速に変化していることに気づき、私たちは「太陽だ!」と叫びました。

車から飛び降り、空がどれほど青く澄んできたかを見てみました。雲が押し流されていくどころか、完全に崩壊していくかのようでした。それから数分もしないうちに、他の家族が乗った車2台が到着し、駐車場で彼らを出迎えました。空を指差して「今、ちょうど晴れてきた!」と叫び続けました。

ブリタニーの家族のプライベートな日食鑑賞会
ブリタニーの家族のプライベートな日食鑑賞会

その後数時間は雲がかかることもありましたが、おおむね太陽は見えていました。グループの中には、もっと天候が回復しそうな場所まで車で出かけたかった人もいましたが、みんな疲れていたので、ほとんどの人は動きたくなかったようです。ライブ演奏や屋台や記念Tシャツが並ぶ大きなイベントに行く代わりに、私たちはホテルの駐車場前の芝生でプライベートな日食鑑賞会を開きました。この旅行は家族の再会の場でもありましたので、そのような形になったのは嬉しかったです。

日食は数時間を要しました。日食は、太陽以外のすべてを黒くする日食メガネでしか見えず、太陽の前に現れたくっきりとした黒い影から始まりました。太陽双眼鏡を使えば、黒点もいくつか見えました。やがて、真っ黒な月の影が太陽の上に大きく移動し、太陽の三日月のような形だけが見えるようになりましたが、メガネや双眼鏡がなければ、肉眼ではあまり変化がわかりません。しかし、カメラに反射したり、小さな穴から光の斑点が見えたりすることで、三日月型の光の形はすべて見ることができました。

肉眼ではまん丸に見えるが、ほぼ隠れている太陽は三日月型に反射しています
肉眼ではまん丸に見えるが、ほぼ隠れている太陽は三日月型に反射しています

日食メガネを通して見える太陽がほんの一片になると、肉眼でも顕著な変化を見ることができます。世界が少し暗く冷たくなり、日食が起きていることを知らない人が見たら、何か不気味なことが起きていると思うでしょう。人によってはまったく違いに気づかないかもしれません。ほんのわずかなかけらが見えているだけでも、太陽は地球にほとんど影響がないほど強力なのです。

しかし、私たちを取り巻く世界が暗くなってきた理由はもうひとつありました。

雲は素早く動き、薄く、太陽を覆っては消え、覆っては消えを繰り返していたのです。まるで太陽といないいないばあをしているようでした。メガネをかけて太陽を見ていると、雲が近づくと光の切れ端が消えてしまいますが、メガネを外すとただの雲だと気づき、またメガネをかけて待ちます。何度も歓声が上がり、そして落胆と笑いが起こりました。雲の切れ間から皆既食が見えないかもしれない、と不安になった人もいたでしょう。

それでも、日食は確実に起きていました。

日食メガネや太陽双眼鏡を通すと、何も見えなくなりますが、以前は肉眼で見える明るい太陽しかなかったのに、今は紫色の空に白い光線の冠をかぶった深い黒い輪があり、辺り一面の地平線には黄昏が広がっていました。世界は暗く、人々はあちらこちらで叫び声や歓声を上げ、空は、それを知らない人にとっては恐怖以外の何ものでもない光景です。

最初に思ったのは、「ああ、本当に今まで見てきた写真と同じだ、あれは誇張ではなかったんだ」ということでした。それらは少なくとも形を捉えていましたが、写真や芸術では捉えられないのは色です。

2024年4月8日の皆既日食
従妹が撮影した2024年4月8日の皆既日食

月の黒い真の深い闇と白い光の明るさ、そして縁の明るく発光する斑点(太陽フレアと混同されやすい太陽表面のプロミネンス)は、すべて私が今まで見た中で最も激しいコントラストを持っていました。この色彩こそが、皆既日食を自分の目で見ることの醍醐味だと思います。

いつ終わりを告げるのか分かりにくかったです。肉眼で見続けていると、紅炎のプロミネンスが大きくなってきたと一瞬思いましたが、すぐに直射日光の一片で目が焼けました。皆は皆既食が終わったので、メガネをかけ直せと叫びました。太陽はまだほとんど覆われていましたが、部分日食と皆既日食の違いは昼と夜のように違うのです。

皆既日食が終わって20分ほどすると、再び雲が広がり、空は灰色の曇り空となりました。その夜は大きな雷雨に見舞われたましたが、ありがたいことに竜巻は発生しませんでした。伝説的な交通渋滞についてもこの記事に書こうかと思いましたが、それは無し!帰り道でも天候に関連したハプニングはありましたが、みんな無事に帰宅しました。

次に日本で皆既日食が見られるのは2035年9月2日です。早めに予定を立てておくと安心ですが、天候には臨機応変に対応することを忘れずに!