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ミライロハウス × エクスポートジャパン 座談会

アクセシブルコード
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F. Izumi

こんにちは。経営支援部の泉です。

弊社では視覚障害や日本語を読めない方にも主体的に情報取得が可能になるサービスアクセシブルコードを展開しています。この度、アクセシブルコードをご利用頂いているミライロハウス様のご協力のもと、第1回 ミライロハウス×エクスポートジャパン座談会を開催しました。

この座談会は、ミライロハウスに関わりのある様々な人たち(障害やマイノリティのある当事者の方々)と弊社メンバーがざっくばらんに話せる場を通じて、多様性や相互理解を深める機会と位置づけています。

ミライロハウススタッフ の高野さんとテーブルを対面越しに座る弊社メンバー5名。高野さんのお話を聞きながら、配布資料をみたり質問するメンバー。

今回、お話を伺ったのは、ミライロハウスアルバイトスタッフ 高野大輝さん。弊社からは、高野さんと同年代の若手メンバー5名が参加しました。(泉は、メンバーにアテンドする保護者役ですw)

高野さんは視覚障害(レーベル病)を持つ現役の大学生です。発病による生活の変化、ロービジョンの経験から日々実感していることや将来のことなどお話も交えながら、活発な質疑応答や意見交換が行われました。

レーベル症とは

レーベル病とは、通称「レーベル遺伝性視神経症」と呼ばれ、細胞中のミトコンドリアの異常により、網膜の細胞の一部が選択的に障害される病気。発症すると、数週間から数か月の間に、両目の視力低下、中心部の視野欠損が起こります。(引用:難病情報センターwebサイトより)

発症について

高野さんが目に違和感をを感じたのが高校2年の時だそうです。

「学校の帰り電車の中で、スマホでマンガを読んでいたときに読みにくいと感じるようになったのです。当初は、近視が進行したのかな、程度に考えていました。軽い気持ちで眼科に行き、視力検査をしたところ、見たい中心部が輪っかのように黒くぼやけて見えなかったのです。この結果に自分も眼科医も驚きました。大きな病院を紹介され検査をし、診断された病名はレーベル病。そのまま入院へ。当時は、病気は治るものという意識があり、インフルエンザにかかったようなものくらいに思っていました。これまで大きな事件や事故もなく、普通の生活を送っていた自分に、まさかの人生において大きな転換期が訪れることになったのです。」

「退院後、大きく2つ、今までとの違いを感じました。
1つは、文字が読みにくいこと。もう1つは人の顔の認識が難しくなったことです。
まるで18歳が一気に80歳くらい年をとったような感じでした。勉強面においても焦りを感じました。当初は自分の状況を受け入れられず、気持ちを整理する余裕もなく、惰性で生活をしていました。」

「発症後も部活(ラグビー部)は続けました。部活を通じて、“できないことを嘆くのではく、できることを探す”という、大切なことを学びました。失ったものも多いですが、得たものも多くありました。」

「大学に入ってから、経済的な自立を図りたいと思い、アルバイトを始めました。しかし、障害者雇用は法的サポートを受けれる就職とは違って、アルバイトは受け口も非常に少なく、何社も受けたのですがことごとく不採用になりました。とてもショックでした。そんな中、先輩の紹介でミライロハウスにご縁をいただきました。」(高野さん談)

上記のような高野さんのお話を伺い、弊社メンバーからは、大学受験時の支援や現状について、日常生活での困りごと、社会に求めることなど質問がありました。そして、弊社の業種柄もあり、PCやスマホなどの利用方法やWebアクセシビリティーに関する質問が多く挙がりました。

パソコン画面を見ながら、Webアクセシビリティーについて質疑応答する高野さんとメンバーの友景。

参加メンバーからの感想一部抜粋

ズィア
日本でのサポートについて(母国との異なる点に気になった
例えば、試験の時に読んで、書いてくれるサポーターがいない(日本で)
自分で気づいた違いは日本の方が点字ブロック多くあり、ニュージーランドより視覚障害者にとって歩きやすい(かな?)、そして電車などが使えるが、クライストチャーチでは電車がないので、視覚障害者にとって不便。車社会なので、運転できないとなかなか大変。

キンガ
強く思ったのは、共感ができるお話が多い、ということでした。男性で障がい者だからこそ、困ったことがあっても「一人で何とかしたい」という意思が強いかもしれませんが、「待ち合わせが苦手」な点については、私も同じことを思うことが良くあります。

知らない人と目が会うのが恥ずかしいので、到着後は周りをなるべく見なくて、携帯をいじったり、本を読んだり、相手が見つけ出してくれることを期待しています。(相手が先に到着していたら、待っている場所の細かい説明を頼んだりすることも多いです。)理由が全く異なっていても、苦手とすることは一緒だったので、もっと詳しくお話したくなりました。

電気屋さんに行ったとしても、充電器のケーブルの見分けがつかない、という話もあったのですが、それもまた、目が見えても、電球のサイズや種類等、自分で探すのが大変な時は誰にでもあると思います。そのため、世の中が便利になっていけば、それが障がい者だけでなく、健常者のためにもなると思います。ですので、障がい者と健常者を分けて考えるよりも、単純に、どのようにすれば、より「分かりやすく」「便利」になるか考えるだけでも違いが出ると思います。

田中
お話の中で、社会的に足りていないことは「対応力」と「受容力」であり、後者はお互いを知ることではぐくむことができるということ。具体的には、今回の座談会や当事者と周囲の人とで障害を持つ人の感覚への認識のギャップを埋めるということ、これらは一例だが社会全体で見て見ぬふりをするのではなく、歩み寄るべきだと言えるだろう。そのため、まず障害がある人という見方ではなく、一人の人間として見てほしい、特にハンディキャップがあることをタグなどを鞄につけて外に示すのを心理的に避ける人も多いということ。つまり、様々な人が情報にアクセスできるような環境を整備することがとても重要であると感じた。

Webサイト関係の話では、やはり色のコントラスト、altタグ、画像を控えるなどはとても重要であるな、と感じた。自分も色弱のため、コントラスト比が悪いサイトは読むことに苦労をする。もうデジタル社会が進んでしまっている以上、平等なアクセス権は無視できるものではなく。SEOで検索順位を上げて成果を求めすぎるWebサイトではなく、万人が使いやすいWebサイトを設計せいていく視点を忘れないようにしたいと感じた。

友景
障がい者としての心持ちとして、”60-70楽しめればよい”という気持ちでいることが非常に印象に残った。サービスを提供するものとしても、やはり100楽しめるようにするのではなく、全てを楽しめなくても、その”60-70”をクリアしてあげる、そういった態度で臨むことが必要ではないかと感じた。というのは、話を聞く限り、そこまでもたどり着いていないことが多いように思ったためである。逆に言うとそこを最低限クリアしてあげることが障がい者への満足につながると感じた。

Webの利用に関しては、障がい者というと、全盲などの極端な例を考えてしまいがちなので、アクセシビリティを意識する際は、様々な障がいがあることを想定できるとよいと思った。もしくは障がいが多岐にわたり、対応を想定するのが難しいのであれば、障がい者の存在を意識するよりは、サービスを五感のあらゆる手段で提供できるように考えておき、障がい者側でうまくそれを利用してもらう、という考え方も必要なのかもしれない。

追川
視覚障害にもさまざまな種類があるという点。障害というと、まず連想するのは全盲の症状でしたが、障害にも程度があるということを改めて認識しました。同時に、全盲は周囲の人々も理解しやすいですが、そうでない人々の障害は理解されるまでに時間がかかるということを知りました。高野さんの場合は白杖も使用しておらず、見た目からは障害を持っていることがわかりませんでした。しかし、そのような見た目の人でも、これだけ生活に支障をきたす障害を患っているパターンがあるということを今回学ぶことができました。

視覚に障害を抱えているため、健常者とは情報の取得方法が異なる点も興味深い学びでした。自分はスマホの読み上げ機能をめったに使用しないため、読み上げ機能がどれだけ必要なのかいまいち実感できないでいました。しかし、実際に視覚障害を抱えている人から、読み上げ機能などを多用していると聞き、やはり必要な機能なのだとようやく本当に理解できました。結局、「自分事じゃないと理解に時間がかかる」というのが現実であると感じました。そういう意味でも、前述の通り、当事者の生の声を聞いて、知るという行為がいかに大切であるかを実感しました。


高野さんを中心にエクスポートジャパンのスタッフが横に並んで写真を撮影しました。

まとめ

高野さんの「いつまったく見えなくなるかわからないので、今のうちにできることをやっておきたい」という言葉が深く心に残りました。そして、今回のイベントを通して、(多様化する)当事者の状況を知り、広く障害やユニバーサルデザインについて改めて考えるきっかけになりました。私自身は、当事者の生の声を聴くことで、今後の採用活動に活かし、ニーズに対応していく必要性や課題も見えてきました。

参加メンバーの要望もあり、今後も継続的に座談会を設けて、多様な人たちとのコミュニケーションをとり、相互理解を深める機会をつくっていければと思います。

ご協力いただいた、ミライロハウス様、高野さん、あらためて有難うございました。