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ルアンパバーンへ行ってきました

多文化情報
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Kenji Takaoka

5泊6日の旅程でラオスの古都、ルアンパバーンに行ってきました。
現地政府の情報文化観光省観光局(Department of Information, Culture and Tourism)が観光案内にQR Translatorを導入してくれることになり、今回はその調印式に出席する為です。
自分にとってはコロナ後初の海外渡航でもあり、人生初のラオスへの入国でしたので、個人的にもワクワク感満載でした。

ルアンパバーンへは、日本からは直行便がなく、行きも帰りもタイのバンコクを経由しました。
空港や機内はマスクが必須でしたが、街中に入ると屋外屋内に関わらず、マスクをしている人はほとんどいません。

現地の通貨単位はキップ(Kip)。日本円を100倍するとおおよそ同じぐらいの価値です。ただ、ゼロが多いので、地元の人は1,000の位を省いてやり取りしていました。(20と言えば20,000キップという感じ)通貨は、最高額の紙幣が100,000キップ。他に50,000、20,000、10,000、5,000、2,000、1,000と全てお札でコインはありません。(これは、観光客には結構便利です。)※ 実際には500キップのお札もあるそうですが、ほとんど流通していないそうで、僕も滞在中、一度も遭遇しませんでした。

朝と夜には市内に市場(マーケット)が立ちます。ルアンパバーンの周辺の村々では、あそこが陶器の村で、こちらが織物の村、というように、それぞれが特産品を作っていて、それを市内のマーケットで販売しているようです。

仏教寺院とナイトマーケットのテント群
街のメインストリートには夕方からテントが立ち始める

そして、僕自身が、ルアンパバーンで最も素晴らしいと思ったのは、人の「穏やかさ」でした。基本、シャイな人が多いそうなんですが、まず大声では喋らない、車は譲り合う(滞在中にクラクションの音を聞いたことは1回もなかったかも!)、お店で料金をぼらない(8,000キップのタバコを買って10,000キップ札を渡して帰ろうとしたら、無理やりお釣りを渡された)。ルアンパバーンは、ラオスの中では最大の観光地でもあるのに、これは驚きでした。(そういえば、同じ共産圏で、キューバのハバナに行った時も少し近い感覚を味わいました。人の性格はもちろん全然違うんだけど。)

また、ルアンパバーンには信号が一台もありません。ある程度大きな交差点はroundabout(環状交差点)になっていて、ゆずり合いながら車とバイクが行き来しています。多分、経済発展に伴って数は増えているんでしょうが、ホーチミンのようにバイクに埋めつくされている感はなく、バンコクやジャカルタのような車の大渋滞もありません。(基本、駐車場というものが無いので、路上駐車は多いようです)

街中の様子
コロナの影響で閉めてしまった店も多いそう

全体として、ルアンパバーンには、経済発展中の町にありがちな人々の「我先感」が殆ど感じられず、道路の真ん中に寝そべっている放し飼いの犬や猫がいても、車が徐行しながら避けているといったのんびりさです。(この街にずっと住みたいと言う人が多いのは、こういうところが理由かも。)

樹の下のバッファロー
日中は日陰で休んでいるバッファロー達

到着して初日の夜は、JICAから専門家として現地に派遣されている友人宅に泊めてもらいました。リバーサイドにあるとても瀟洒な一戸建てで、ベランダからは大河メコンへ流れ込むナムカーン川が見渡せます。

2日目は、今回の訪問の目的である現地の情報文化観光省との調印式です。それに先立って、早朝には、近所で行われている托鉢の行事に参加させてもらいました。托鉢を行うのはお坊さん達で、観光客は決まった場所でもち米やお菓子を購入し、それをお布施として、お坊さん達が肩にかけた鉢に入れさせてもらいます。ひょっとして、そのもち米やお菓子は、少し離れた交換所で現金に変えてもらえるのかな?(日本のパチンコ屋さん方式)というよからぬ考えが頭をよぎらないでもありましたが、それはまた別の話。

托鉢の様子
早朝6時前後から行われる托鉢は観光の一部になっている。同じ仏教国であるタイからの観光客が多く参加していた。

午後はいよいよ肝心の調印式です。場所は、ルアンパバーンの中心部にある観光案内所(Tourist Information Center)を兼ねた情報文化観光省のオフィスでした。実は、日本のJICAから現地に派遣されている専門家の方々も同じオフィスで働いています。

調印式は、局長のスダポンさんと執り行い、無事、今回の出張目的は果たせました。QR Translatorは、まずは観光案内所のパネルや配布用のカードに使用を頂き、今後、街の主要な観光スポットにも展開してくことになりそうです。

観光のプロ(?)としての視点でルアンパバーンを見ていくと、コロナ後には、日本からの観光客はもっともっと増えてもおかしくないと思いました。コロナ前まではここにHISのオフィスもあったそうですが、今は閉鎖されていて、日本人の観光客には一人も会いませんでした。実際、僕自身も今回までまったく知らなかったのですが(お恥ずかしい)、観光地としてのポテンシャルは間違いなく高そうです。

今回の滞在中にもっとも目立っていたのはタイからの観光客でした。おおよそですが、海外からの観光客全体の50%ぐらいを占めていました。元々、タイとラオスは国境を接している上に、経済圏としてもタイからの影響をもっとも強く受けています。現地で売られている商品やTV番組なども、タイのものがそのまま使用されている事が多いようで、それでも現地の人は特に困った風でもありません。何故なら、(僕も今回まで知らなかったのですが)ラオ語はタイ語の地域変種とも言われていていて、双方で話している内容や、文字についても、かなりの割合で理解ができるということでした。きっと、スペイン語に対するポルトガル語のような感じではないのかなと想像します。

ちなみに、タイ語の挨拶はサワディーですが、ラオ語の挨拶はサバーイディーです。両方とも朝昼晩と時間帯に関わらず使われます。また、タイ語のありがとうはコォープクン、ラオ語のありがとうはコォープチャイで、こちらも少し近いですかね。

観光地としての魅力についても、豊かな自然と王国時代の遺跡等がうまくマッチしています。街なみに沿って流れる大河メコンの川べりには、おしゃれなカフェやレストランが数多くあります。

ちなみに、メコン川やタイのチャオプラヤ川がいつも茶色いのは、洪水が多いせい?と勝手に思っていましたが、どうやら違うようですね。日本のように急峻な斜面を流れてくる川と比較して、メコンのように広大な距離を流れていく河(6ヶ国も経由している!)は、川底に溜まった土から鉄分などが溶け出し、それが酸化してあんな色になるのだそうです。また、それによって流域の植物相・生物相が変わってくるんですね。

旅の3日目は、休日でもあったので、この地域最大の観光名所のひとつクワンシーの滝へ車で連れて行ってもらいました。クワンシーとは「鹿の村」という意味で、市街地から車で1時間弱山間部へ入った場所にあります。ここの水は、石灰岩が溶け出したエメラルド色と乳白色が混じった色をしていて、丸みを帯びた階段状の滝が何層にもなって続いています。その美しさもさることながら、個人的には、途中で「遊泳OK」のスポットがあることが最高に嬉しかったです。そりゃー、もちろん泳ぎました。

このクアンシーの滝、入場料は2万キップ(約200円)でした。史跡等の維持管理を図っていく為にはもちろんお金が必要なので、本来はもっと金額設定を上げるべきでしょう。ただ、実はこの場所は地元の人達の癒やしスポットにもなっているようで、あまり金額を上げ過ぎると何の為の史跡保護なのか本末転倒になってしまいます。そういった意味では、世界の主要な観光地で標準化している、自国民と外国人観光客の料金レートを変えるというのも「合理的な方法なのかも」と思ってしまいました。(前に行ったムンバイの史跡では、外国人料金が15倍だった)

最終日は、知らない間に航空便の時間が変わっていたというようなトラブルもありましたが、現地の人の親切なサポートもあって乗継ぎのあった首都のヴィエンチャンで再入国に必要なPCR検査を受け、無事に日本に戻ることが出来ました。

今回、旅の途中では、日本と海外をつなぐ航空便だけに空席が目立ち、それ以外の経由地ではほぼ満席に近い状態でした。世界は急速にコロナ後へ(もしくはウィズ・コロナへ)舵を切っているという実感を得ました。

最後に、今回せっかくなのでラオス人口の半分以上を占めるラーオ族についても調べてみましたが、元々は現在のモンゴルあたりが起源だそうです。そこから、時代とともに南下してきて、中国の雲南地方を経由して現在の場所に落ち着いています。現在でも、中国の雲南省に行くと少数民族の村がたくさんあり、その中に西双版納(シーサンパンナ)というタイ族の自治州があります。僕は2019年に訪れましたが、仏教寺院などの建物様式は、まさにタイやラオスと共通でした。西双版納もまさにメコン川の上流域にありますので、当時、川沿いに南へ移動していった人々とその地に留まった人々が、現在は違う国の住人になっているわけですね。

西双版納
中国雲南省にあるタイ族自治州(西双版納)での風景

やっぱり世界は広くて面白いなぁ。