弊社は、日本の製品・技術や文化を海外向けに情報発信をしている。
最近は、アジア圏への経済成長率期待からアメリカ・ヨーロッパ向けよりも、中国・韓国向けの引き合いが急増している。
日本・中国・韓国は漢字という共通文化で結びついているが、その漢字は時代の変化につれそれぞれ変わり、中国本土は簡体語、台湾・香港は繁体語、日本では昔の旧漢字ではなくなり、韓国はもう街の看板はハングル文字で漢字を見ることが減っている。
漢字の意味ももちろん異なってきて、手紙は中国ではトイレットペーパーの意味であるから手紙は信と信じるとか、飲食店でメニューに手炒鳥と書いてあるので手羽先唐揚げと思って頼むと鳥の指が出てきて、いつも食べている手羽先は手ではなく腕の先(翼尖)とわかったりといろんな間違いを経験する。

漢字が日本に伝わったのは、7世紀頃である。
それまで日本には文字がなかったので飛鳥時代(藤原京)までで現存しているのは壁画とかの絵ばかりである。
漢字という記録媒体を知った日本人は、今のインターネット以上に便利な物と驚喜したことであろう。
8世紀になって、古事記(712年)・日本書紀(720年)・万葉集(780年頃)・木簡(送り状等簡単な記録)等次々と当時の日本の記録が残されているのである。
漢字が多く伝わったのは、大陸から仏教の経典を通してである。
伝わった仏教の経典の数は5000巻以上であるから、キリスト教やイスラム教の聖書・経典は1冊であるのに比べ膨大である。
当時の中国は隋から唐に変わり、朝鮮半島では新羅が唐と組んで統一した頃である。
街づくりからして慶州・奈良とも中国の都西安(長安)をみならったこと等からもわかるとおり、当時の3国は非常に似ていることが多いのである。
伝わった漢字を日本はカスタマイズ(現地化)して、和風にしたのである。
古事記は、和言葉を漢字の音読みの発音に合わせて記述されたが、日本書紀は唐言葉(漢文)で書かれた。そして、伝わった漢文は返り点をふって日本語読みに代え、漢字(真名)からカタカナ(片一方だけ仮名)とか女性用のひらがな(やさしい仮名)を創作し、独自の文化を形成した。

ちょうど1300年前の平城京遷都祭や慶州の仏国寺・石窟庵を見たり、鑑真和尚の来日教化の苦労を聞くにつけ、漢字が共通であった時代はひょっとしたら言語や文化の壁はもっと低かったのではなかろうかと想像してしまうのである。